道の駅 いちごの里よしみ > 吉見町紹介

吉見町紹介

吉見町 地勢
 埼玉県のほぼ中央に位置し、南部は川島町、西部は東松山市、東部は鴻巣市と北本市、北部は吹上町と大里町に接する東西約七km、南北約八km、総面積三八・六三Hのまちです。都心から五十km圏にあり、東武東上線やJR高崎線、関越自動車道などへ容易にアクセスできます。西部の丘陵部を除いては広く開けた平野部で、かつては、荒川、市野川などの氾濫による水害に悩まされましたが、昭和十三年にすべての堤防が完成した後は、肥沃な穀倉地帯となっています。西部の丘陵地一帯は、県立比企丘陵自然公園に指定されており、吉見百穴や八丁湖周辺に散在する黒岩横穴墓群などは、「古墳時代を代表する」貴重な史跡として注目されています。

 吉見町は、県立比企丘陵自然公園の一角に位置し、豊かな自然が季節の移り変わりを告げてくれます。そんな吉見の地では、江戸時代中期より水田開発が始まり、町内には、数多くのため池が造られました。これらのため池は、今では静かな山並み、のどかな田園風景など、周辺環境にマッチした町の景色として人々の生活に根付いています。
吉見百穴のすぐ近くに位置する大沼は、百穴湖とも言われ、四季を通じてさまざまな楽しみ方ができる懐の広い湖。紅葉のシーズンは、もとより、冬のバードウォッチングは有名です。多くのカモが飛来し、水辺で遊ぶ姿は、かわいらしく思わず顔がほころんでしまいます。双眼鏡やカメラを片手に水鳥たちの姿を観察する愛好者が、多く集まる人気のスポットです。

雑木林などありのままの自然が残る和名沼周辺は、野鳥や水生植物が生息する貴重な場所です。自然が大好きな町の人たちに よって、自然環境保繕地区「風の杜」として整備され、自然観察や園内を散策する家族連れの姿も多くなりました。
また、武蔵野の風情を今に残す八丁湖と黒岩横穴墓群。桜やツツジなど花の名所となっています。

  八丁湖から北約一kmの高台にある岩山が、「ポンポン山」です。武蔵地方最古の高負彦根神社の境内裏にあり、岩山の中腹を踏みたたくとポンポンと音がすることから、この愛称がつけられました。晴れた日には、赤城や男体、筑波の山々が遠望できます。
吉見町では、こうしたスポットを吉見八景として選定しています。町民自らが、ふるさとのよさを見直し、後世に伝えていきたいと思ったからです。八景は、ふるさと歩道によって結ばれ、散策に最適なコースとして整備されています。
吉見町 地域産業
自然に恵まれた吉見町は、農業が盛んなまちとして発展してきました。現在では、都市化の影響で農家数の減少や農業者の高齢化による後継者不足など、農業を取り巻く現状は厳しくなっています。 しかしながら、うるおいのある田園風景を後世に伝えていくのが、われわれの役目であると町では考えます。

  吉見町では、農業者が生きがいと誇り を持てるような魅力ある環境を整えるために、農業の企業化や農業拠点施設の整備と活用、後継者の確保、農産物の高付加価値化など、農業基盤の整備を進め、 産業としての自立を推進します。また、都市近郊農業を展開し、新鮮で安全な農産物の地元地域への供給や施設園芸における品質向上とブランド化など、全国へ向けてのPRを進めるほか、新規就農者の 確保を含めたふれあい農業や観光農園の促進も図っていきます。

一方、にぎわいのある商業・観光業を展開するためにも、点在する観光拠点施設の整備やネットワーク化を進め、まつりやイベント、まちの特産物等との結びつきを図ることが重要となっています。そのため、四季を通じて、人々が集い憩える交流拠点や回遊性の高い観光ルートを整備していきます。

 工業においては、自然にやさしい工業を目指し、無公害型企業の誘致を図る一方、住工混在を解消するため、ミニ工業団地の整備を検討します。また、人々が意欲を持って働くことができるような労働環境の整備を行うとともに、まち全体の緑化事業の一環として、工場緑化を進めていきます。

近年、サービスや販売方法が多様化し、悪質商法による消費者被害が、問題になっています。町では消費者を保護するとともに、町民が安心して豊かな消費生活を営めるよう、消費者の自立を促進するほか、消費生活情報の提供や消費生活相談等を積極的に働きかけます。また、すべての町民が生きいきとした暮らしを実 現できるために、まちの産業と生活が結びついた活力あるまちづくりに努めていきます。
吉見町 沿革
 その昔、吉見町一帯は横見郡と呼ばれていましたが、大政奉還や王政復古などの大改革を経て、明治二十二年の町村制施行によって東西南北の四カ村に編成されました。そして同二十九年には比企郡に統合されて、横見郡という名はなくなりました。こうした経緯を経て、昭和二十八年に施行された町村合併促進法によって四カ村が合併して、吉見村が昭和二十九年七月一日に誕生しました。そして吉見村は昭和四十七年十一月三日に町制を施行し、現在の吉見町が誕生しました。

吉見の産業は当初は農業、中でも稲作が中心となっていましたが、近年では昭和三十年代初めから栽培を始めた「吉見いちご」が特産物として高い評価を受けています。また昭和三十年代の後半からは大規模なほ場整備や農村の近代化政策も進められるようになり、その一方では昭和四十五年に大規模工場の誘致や市街化区域の設定など都市化の第一歩を踏み出しました。

 これに対応して、都市基盤施設の整備強化、荒川右岸流域下水道への加入、県広域第二水道の導入などが行われました。また、昭和六十年代に丘陵部住宅団地での住宅建設が急速に進む一方で、町では東部市街化区域の土地区画整理事業に着手し、都心からの五十km圏内という立地条件を生かして、町の近代化がいっそう進められています
トップページ吉見町紹介吉見町観光吉見町特産品タウン情報サイトについてリンクサイトマップ
いちごの里物産館いちごハウス簡易店舗休憩所(喫茶)化粧室駐車場アクセス
道の駅 いちごの里よしみ
 〒355-0137 埼玉県比企郡吉見町大字久保田1737 Tel:0493-53-1530    FAX:0493-54-8988